「あすなろ」昭和41年3月札幌市立大通小学校6年3組卒業文集

3.父兄の皆様の作品

●「手」鳴瀬厚子さんのお母さん、鳴瀬テリエさん

ひからびた手 いたいたしき手

過去を記し 明日を開く

おお美しく 清らかなる

見よ この美しき手を

●前田育雄さんのお母さん、前田千鶴子さん

 大きなかばんが目に付く入学式。寒かったあの日の1年生はどの子もいきいきと輝かしい姿で大きな夢にふくらんでいた。6年間の学舎は先生方の力強い教訓と多くの友情に育てられて良く学びよく遊べの教えもよく遊びよく遊べときっと楽しい思い出が多いことです。いろいろな思い出に励まされてこれからの門出に明るく誠実な中学生としていっそうの努力を望みます。

●「思い出」刀根佳子さんのお母さん、刀根サヨ子さん

 思えば懐かしい思い出ばかりです。昭和31年の春に長男の入学をはじめ、長女、次女と次々と深い歴史のある大通小学校を3人の子供を卒業させていただきました。10年の長い間、諸先生方のご恩、一生忘れることはないでしょう。どうかこのご恩に報いるよう伸び伸びと明るい中学生になってください。

●「皆さんご卒業おめでとう」石井真澄さんのお父さん、石井喜也さん

 皆さん、ご卒業おめでとう。お父さん、お母さん方もさぞお喜びでしょう。

 昔の中国の詩の中に「光陰矢のごとし」という言葉があります。皆さんが昭和35年の4月初めにお父さん、お母さんとご一緒に大通小学校の校門を今日から1年生と、チョッピリ不安な気持ちでいった日を昨日のことのように覚えていらっしゃるでしょう。

 皆さんが一生懸命教室で勉強し、楽しかった春の遠足、天気が気になった運動会、元気に夏の海水浴、失敗の多かった秋の炊事遠足、寒かった冬のスキー遠足など楽しかったいろいろな行事を繰り返し繰り返し最早6年間が過ぎたのです。本当に月日の経つのは早いですね。そう意味の言葉です。しかし、小学校入学当時はお父さん、お母さんのお腹の辺りしかなかったあなた方の背丈、お名前が書け、平仮名をようやく覚えた皆さんが、いまやお父さん、お母さんと背比べをし、いろいろのお話を対等にできるようになった知識、大きくなったいろいろのことを覚えた6年間は長くて大変だったでしょう。

 この間皆さんとご一緒にご苦労を願い、お世話になった学校、先生方のご恩は忘れることができませんですね。いよいよ中学校に進学ですね。6年間いろいろのことを勉強したり小学校生活を基礎として勉強科目も増えてきます。これを完全に消化するためにはまず体力がです。健康に十分に注意してください。また、たくさんのお友達を作ることです。一生懸命勉強して立派な中学生になってください。それが一番お父さん、お母さん、先生への恩返しと思います。

●「判読不能」金島智子さんのお母さん、金島良子さん

 思い出されるのは柳生カツ先生のことです。柳生先生とは私の1年生の時の受け持ちの先生です。先生のお名前のいかつさとは反対にとてももの静かでいつもニコニコしていらしたお方でした。黒っぽい着物に紺色の袴をはき、袴の紐は横にきちっと結んで頭を少し曲げて歩かれる癖がおありでした。もう30年余りも古いことではっきりしませんが、ある日のこと私たちに「皆さんは赤いフレップと青いフレップとどちらが好きですか」とお尋ねになったことがあります。フレップというのはカラフトでは子供が散歩がてら行けるような近くの山でも群れをなして生えている10cm足らずの小さな木の実のことで、春には薄紅色の花が咲き、秋には深紅の釣鐘型の実を6,7粒枝もたわわに結ぶのです。カラフトでは、これを秋に6kmも8kmも奥深く山に入ってたくさん採り塩漬けにしたりフレップ酒を作ったりして貯蔵しお正月頃出して食べるのですが・・・・・。

 先生も赤いフレップが大好きです。野生のフレップは雨に打たれ風にもめげず、また、人に踏みつけられ害虫からも一人身を守って実り豊かに秋を向かえみな喜んでつんでもらうのです。赤いフレップは努力した人。青いフレップは怠けた人。「皆も赤いフレップのようになってくださいね」といわれました。当時私はそれほど先生のお話を意識しておりませんでしたが、学年が進むにつれてこのお話が気にかかるようになってきました。聞く人それぞれで受け取り方は違ったでしょう。時々ハッと思い出してはよく自分の励みにしたものでした。もう先生は多分この世にはないお方かも知れませんが、もしご存命ならぜひお目にかかりたいものとせつに思っております。

 注:フレップはこけももといって高さ30cmにも足りない小さな木で世界の高い山でも良く見られます。フレップの実は赤で、一箇所にたくさん実がかたまっています。

●「卒業を前にして父親の願い」北本康弘さんのお父さん、北本弘司さん

 夕食を済ませた後、息子より卒業に当たって父親の作文を書いてほしいとのことでちょっと心改まった感じになりました。

 親にとって子供の成長は本当に楽しみです。しかし大きくなるにしたがいまたいろいろとこれから先の子供の育ち方に心配と不安が靄のように広がって参ります。自分の少年時代のことと比較したら考えることが多いのですが、時代の相違、現在私たちの年代における子供に対する考え方などあれこれ思うことも多いのですが、子供に対するはっきりとした指針を打ち出しえずにいる現状です。幼少の頃は健康で素直な性格を持って育ってくれれば良いかと思っておりましたが、大きくなるにつれて現代の社会に生き抜いていくためには基本的な心のあり方の上にいろいろと多角的な生活態度と思考が要求されてくると思います。最近の息子の態度を見ますのに、何かのんびりとしていて物事に対する集中力が不足しているようです。小生の小学校時代と想起いたしましても少し物足りなさを感じます。

 やがて中学生となったときにはまた新たな環境で前進しなければならないのですが、近い将来いや少なくとも中学生になったら一日も早く小学校時代の気持ちから大きく脱皮して肉体の成長とともに精神的にも成長してほしいと心から思います。卒業ということは一過程の終わりであると同時に次の過程の出発であることを考えて今までの6年間の小学生としての生活の反省と中学生になる自覚を強く認識するならば卒業式という事柄の持つ大きい意義がいつまでも心の中に印象深く、いつまでも懐かしい自分の人生の成長を思い出して残ることと思います。卒業を前にして父親として子供に寄せる願いを書いて見ました。

●「階段」岡田蒼生子

 人間の一生は階段のようなものです。私たちもその長い、高い階段を死ぬまで登り続けて行かなければなりません。階段の一番上には何があるのでしょう?それは人によっていろいろ違います。ある人はそこに立ったとき、お医者さんになっているかも知れません。またある人は先生かも知れません。皆、自分の希望に向かって階段を登っていかなければならないのです。一歩一歩。

 今、あなた方は階段の途中に立っています。ちょっと後で見て御覧なさい。生まれたときから学校に入るまで、そして小学校6年間、あなた方はお父さん、お母さん、先生、そしていろいろな人に助けられながらここまで登ってきたのです。でも、これからはできる限り一人で自分の力で登っていかなければなりません。足が前に進まないこともあるでしょう。石に躓いて転ぶことがあるかもしれません。でもそこで立ち止まってはいけません。いつも階段の上の方を見て進みましょう。そこにはあなた方の未来の立派な姿があります。後戻りはできません。さあ、登りましょう。一歩一歩。未来に向かって

●杉本

可愛い小さな手を引いて

校門をくぐった日からもう6年

すっかり背も伸びて大きくなったあなた方

いろいろなことがあったでしょう

楽しかったこと、叱られたこと、喧嘩したこと

みな今日までのあなたを育ててくれたのですね

先生のご恩、忘れないようにしてください

果てしない星雲のように形なく

然し広いあなた方の未来

苦しいこと、困難なことに出会っても

くじけず強く明るく進んでいってください

限りない感謝と願いをこめて晴れの日を祝福します

●「卒業する我が子に」佐々木敦子さんのお母さん、佐々木愛子さん

卒業ご苦労様

ただ一言 よく通ったわね 3年間も遠くから電車通学

朝夕のラッシュ 重いかばん 一度もつらいといわなかったあなたに

偉かったわねとママは褒めたい 卒業おめでとう

ただ一言 大人になったわね 6年間積み重ねた知恵と背丈 小学校との別れ

そして中学生 一度も母のプレゼントを忘れなったあなたに 

「ありがとう」とママは感謝したい

●「思い出」関晴与さんのお母さん、関キヨエさん

1年4組野中千恵子先生。晴与の入学したクラスです。今でこそ丈夫になりましたけれど、幼稚園の頃、1年生の頃、小児喘息があったので幼稚園の時などは出席日数より欠席日数の方が多かったのではないかと思っています。1年生になっても1学期には20日、2学期などは1ケ月近く休んでしまいました。それが2学期になってからは殆ど喘息が出ずほっといたしました。そんな喘息もちでも外で遊ぶことが好きで日曜日になると、お父さんにブランコのある公園へ連れて行ってもらったものです。そんな時、見ている私どもがはらはらするくらい高くなるまで一人でこいで楽しんでいるのです。ちょっと大胆なところがあるのです。そうかと思うと1年生の時のこと、参観にいっても手が殆ど挙がらないので家に帰ってから聞いてみますと、わかっていても決まりが悪いということです。先生にお願いして手が挙ってなくても当てていただくようにしましたら、だんだんと自分から手を挙げるようになりました。

4年生になり組替えになって南野先生の推薦で学級委員になったときは晴与に勤まるか心配しましたが、どうにか勤めることができたので、随分大人になったものとつくづく思ったものです。このごろではもうあと何日と時々数えては中学生になることで胸を膨らませています。大通小学校で教わった先生方、お友達の皆さん、晴与には一生のよい思い出になることでしょう。